タサヤマ's blog

タサヤマのブログ。

創価学会本部が安保法案を公式コメントで支持することの意味について

先日、「揺れる創価学会」というタイトルの東京新聞の記事がツイッター上で流れてきた。

この記事に出てきた学会広報部のコメントについて、「これすげー重要なニュース」ってつぶやいたら、なんでなんすか?って質問が後輩からきたわけで。

あんまり気が進まないけれど、ちょっと説明してみます。

(ほんとは他の誰かにやってほしい・・・)

 

~・~・~【報道された学会広報部のコメント】~・~・~

まずそれぞれの報道を確認してみましょう。

 

東京新聞の記事(8/30朝刊)

創価学会広報室の話 九条の平和主義と専守防衛を踏まえ、それに基づく法案の審議が国会で進められていると認識しています。法案をめぐる会員の集会や動きは関知せず、公認したものでもありません。当会の名前と三色旗が政治的に利用されることは大変遺憾です。」

東京新聞:揺れる創価学会員 安保法案で自民と協調「おかしい」:政治(TOKYO Web)

・NEWSアンサー(8/31テレビ東京

創価学会広報室の話 あくまで個人の立場の行動と理解しています。閣議決定憲法9条を踏まえたもので、理解が進まず反対されているのであれば残念」

創価学会に異変? 安保法案に「反対」の声も:NEWSアンサー:テレビ東京

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報道特集(9/5TBS)

創価学会広報室の回答 あくまでも個人の立場の行動と理解しています。昨年の閣議決定は、憲法第九条の平和主義と専守防衛を踏まえたものであり、それに基づく法案の審議が、現在、進められているものと認識しています。その点の理解が進まず、反対されているのであれば残念です。」

報道特集「デモの現場で考える安保法制・“戦勝70周年”の中国」2015年09月05日 - YouTube

 

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ざっと確認できたものは、以上です。

念のため9/2のお昼に学会広報室に確認の電話をしてみたところ、Oさんという方から「東京新聞については多少文言が編集されているが、コメントの趣旨についてはおおむねその通りです」との回答をもらいました。

まぁ、なので認めるしかないでしょう。

現状、創価学会は安保法案を支持しています

 

ただ、これは最近まで(すくなくとも公式的には)そうではなかったのです。

まぁ組織をあげて安保法案に反対する、みたいな感じではなかったのはもちろんです。

ただ、それでも去年の7月の閣議決定が出るまでは、なんとなく雰囲気的に集団的自衛権とか嫌だなって感じではありましたし、公明党の方もわりとはっきりと抵抗を言葉にしてました。

(これとか→集団的自衛権とは何か | リアルタイム 公明党の今を解説 | 公明党

また、閣議決定で新三要件が出てきたあとも、まぁなんとなく雰囲気的に公明党支援はするんだろう的な空気はありましたが、安保法案それ自体を創価学会として組織的に支持していく、という明示的な話は聞いたことがありません。

(「なんとなくイヤだけど、なんとなく承認」って感じが正直なところでしょう)

 

じっさい、今年の7/18に私が学会本部に「安保法案についての創価学会の見解を教えてください」といって電話した時は、応対に出られた方(法人担当の部署とおっしゃってました)からは

学会は宗教団体ですので、個別の法案についての政治的な見解は出しません

あと

公明党を支持する・しないは学会員さんの自由です

というふたつの回答をもらっていました。

 

またツイッター上では、awazu21さんが広報室に電話していただき、以下のような返答をされたようです。

「広報室に電話しました。コメントについてはメディアからの要請に応える形でだした公式見解で、そのうちのどの部分を使うかはメディア次第ということのようです。」

https://twitter.com/awazu21/status/635658156719276032

「また、基本的に、会員各自の政治的意見や判断、それらの表明は自由で、そのことによって例えば会員のはく奪や圧力などは有りえず、仮にあったとしたらそれこそ大問題だということです。」

https://twitter.com/awazu21/status/635658336138997760

「現在、学会としては昨年の閣議決定通りの法案となるのかどうか、その推移を見守っている段階で、安保法制に対して反対とも賛成とも態度は決まっていないとのこと。」

https://twitter.com/awazu21/status/635658739815612416

 

awazu21さんが上記の返答をもらったツイートをしたのは8/24。

(ちなみに私が広報室に電話したときに、「awazu21さんに返答された方に代わってください」と依頼したところ、応対の方から「その人はいま島に行っていて、連絡がつきません」と回答されました。)

というわけで、これまでのことをまとめると以下のようになります。

 

8/24から8/30の間に、学会本部の立場が「公明党の支援」から「安保法案への支持」へと移行した

 

~・~・~【前提となる教義の確認】~・~・~

創価学会は、安保法案を支持している。

この点、学会が公明党を支援しているのは常識なのだし、公明党が推進している安保法案を組織として支持するのも、それに反対する会員を批判するのは当たり前のことじゃないか。

そうおもう方もいるかもしれません。

が、「創価学会公明党を支援する」ということと、「創価学会が安保法案を支持する」の間には、ものすごい違いがあるのです。

これ、いろいろな観点から論じられるのですが、ひとまずは共通前提として、よく言及される『人間革命』の文章をいくつか引用してみます。

 

・『新・人間革命』第1巻より

60年安保について、青年部に議論をさせたあとの山本伸一の言葉

「伸一は、彼らを包むように見回すと、にこやかに語り始めた。

 『青年部の君たちの間でも、これだけ意見が食い違う。一口に学会員といっても、安保に対する考え方はさまざまだよ。反対も賛成もいる。そして、どちらの選択にも一長一短がある。

 それを、学会としてこうすべきだとは言えません。私はできる限り、みんなの意見を尊重したいのです。大聖人の御書に、安保について説かれているわけではないから、学会にも、いろいろな考えがあってよいのではないだろうか。

 政治と宗教は次元が違います。宗教の第一の使命は、いっさいの基盤となる、人間の生命の開拓にある。宗教団体である学会が、政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、その同志を信頼し、どうするかは任せたいと思う。

 ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、私も発言します。いや、先頭に立って戦います』

 青年たちの目が光った。」

・『新・人間革命』第5巻より

 「山本伸一が「公明政治連盟」という政治団体結成に踏み切った最大の理由は、創価学会は、どこまでも宗教団体であり、その宗教団体が、直接、政治そのものに関与することは、将来的に見て、避けた方がよいという判断からであった。いわば、学会として自主的に、組織のうえで宗教と政治の分離を図っていこうとしていたのである。」(302ページ)

 「また、宗教は教えの絶対性から出発するが、政治の世界は相対的なものだ。

 そうした意味から、やはり、宗教団体のなかでの政治活動と宗教活動との、組織的な立て分けが必要であると伸一は結論したのだ。そして、政治活動は、政治団体が主体的に行い、学会は、その支援をするという方向性を考えてきたのである。」(304ページ)

「『ただ、勘違いしてもらっては困るのは、この政治団体は、学会のためのものではない。

 私は、そんな小さな考えではなく、広く国民の幸福を願い、民衆に奉仕していく、慈悲の精神に貫かれた新たな政治団体をつくろうとしているんです。

 私の願いは、政治団体がスタートしたならば、一日も早く自立し、民衆の大きな信頼と支持を得るものにしていってほしいということです。

 学会は、その母体として今後も選挙の支援はしていきます。しかし、具体的な政策については、皆でよく話し合い、すべて決定していくんです。やがては、学会が支援などしなくとも、この政治団体の政策と実績に、多くの国民が賛同し、また、一人ひとりの議員が幅広い支持と信頼を得て、選挙でも、悠々と当選するようになってもらいたい』」(308-309ページ)

あと、じつはあんまり引用されてるところを見たことはないのですが、言論出版問題についての章も引用しておきます。

・『新・人間革命』第14巻より

 「学会は、公明党の支持団体として、党を支援するが、組織的には双方を明確に分離することを述べたのである。

 これまでも、彼は、なるべく公明党と学会を切り離して考えてきた。公明党の結党大会に出席しなかったのも、そのためであった。今後も、学会と党とは一線を画し、社会的にも、分離のかたちが明らかになるように、次の五点にわたる原則を発表したのである。

 ①創価学会公明党の関係は、あくまでも制度のうえで明確に分離していくとの原則を、さらに貫いていきたい。②議員で学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念してもらうため、学会の役職を外す方向で進めたい。③創価学会公明党の支持団体としていく。学会員の政党支持は従来通り自由である。④選挙に際しても、学会は支持団体として、当然、応援はするが、党組織を確立し、あくまで党組織の活動として行うようにしてほしい。⑤党員についても、学会の内外を問わず、幅広く募って、確固たる基礎をつくってほしい。」

(301-302ページ)

さて、引用が長くなってしまい申し訳ありません。

内部の人にとっては自明でも、外部の方にとってはぜんぜん文脈が分からなかったりするので、ちょっとクドく書いちゃってます。

まぁでも、公明党とのかかわり方において、『人間革命』での池田先生(あるいは山本伸一)の立場は明白でしょう。

 

創価学会は宗教団体であり、公明党に対して政策を具体的に指示することはなく、個別の法案についての政治的な見解は出さない

 公明党を支持する・しないは、学会員の自由である

 

~・~・~【それでは、何が問題なのか】~・~・~

さて、それでは創価学会の立場が「公明党の支援」から「安保法案への支持」へ移行したことの、いったい何が問題なのでしょうか。

まぁひとことでまとめると、「これまで言ってきたことと違う」になるのですが、もうすこし細かくいうと、

創価学会の精神的指導者が年来主張してきた見解とは異なるものを、現在の指導部が主張してしまったこと(信仰上の問題)

②民主制下における公党の支援団体として当然斟酌すべきだった、「所属メンバーの思想・信条の自由」にたいして配慮を欠く行為をしてしまったこと(政治上の問題)

という2つになります。

 

①については、さっき『人間革命』を引用してきたので言及する必要はないでしょう。

問題は②です。

これについて、「組織は安保法案を支持したかもしれないが、べつに会員さん個人の政治的主張を抑圧したわけではない」という反論もあるやもしれません。

でも学会は、PTAとか地域の自治会とかとはちがう、宗教組織です。

一般会員にとって、信仰組織から伝達される言葉は、自分の人生を左右するくらいに絶対なのはいうまでもないことでしょう。

というか、指導部がひとつの法案を支持する見解を表明しておきながら、その同じ口で「いや、会員さんの政治的意見は自由です」と言われても、正直わけわかんないですよね

罰とか業とか考えて、だまっちゃうに決まってます。

(「安保法案について黙るという選択をしたのは個人の責任であって、組織が非難されるいわれはない」という言葉を平気で口にする人は三世永遠に呪われてください)

 

もちろん法案それ自体への支持を組織として公式に表明することで、いま法案への反対運動をしている会員たちの行動を「反組織的行為」として規制しやすくもなるでしょう。

が、反面、「会員個人の政治的主張は自由」という公式見解をみずから捨てることにもなるのです。

大阪事件や言論出版問題など、これまで学会は、幾度も社会から非難を受けるような問題に遭遇してきました。

でもそれらはすべて「権力の魔性に魅入られた個人の問題」として処理することがタテマエ上は可能でした。

ただ今回は、安保法案に「組織として」コミットしてしまった。

『人間革命』の言葉を使えば、相対性の世界に、絶対性のもとにあるはずの組織本体を引き込んでしまったわけです。

組織を守りたいのなら、これ絶対にやっちゃいけない判断だったと思います。

 

もちろん今回の安保法案が、未来の歴史家たちから称賛され、「あのとき法案を通したことによって日本が救われた」との評価が下される日がくるやもしれません。

それは分かりません。

ただ、たとえそうであったとしても、会員の政治的自由をいま棄損してよい理由にはなりません。(政教分離違反のネタに利用される、という危険性さえあります)

というか、法案が政治的に妥当なものであるかどうかと、それを政権与党の主要支援団体である宗教組織が公に支持してもよいかどうかは、本来分けて考えるべきことでしょう。

組織を守るためにこそ、「学会は宗教団体なので、個別の法案についての政治的な見解は出さない」という建前を堅持することが必要だったのです。

 

~・~・~【では、どうすべきか】~・~・~

事ここにいたって、取りうる策はなにかあるでしょうか。

私としては、公明党指導部の意向をかってに忖度した広報部による暴走」くらいの線でおさめて、法案採決までに公式見解をこっそり変更する、あたりが落としどころじゃないかと思います。

そもそも『潮』や『第三文明』といった学会系雑誌に何度も寄稿されてて、職員や議員との話しあいのなかでも、安保法案合憲論の論拠として何回も引用されてきた木村草太先生が「今回の法案は違憲」との解釈を(当の『第三文明』誌上において)明確に示された現状、「平和憲法に則っているからセーフ」との公式見解を、べつに憲法解釈においてなんら権威を持っているわけでもない学会広報部がいま表明するのには、ちょっと無理がありすぎます。

もっといえば、会の指導者たる池田先生自身は「交戦権そのものを否定」されていたわけであるのだし、学会とは別の団体である公明党ならいざ知らず、当の学会本体が集団的自衛権を容認するというのは、さすがに一般会員さん的には意味不明すぎるでしょう。

もちろん「冷戦期において池田思想は正しかったが、ポスト冷戦期においては北側副代表と遠山清彦議員の見解の方が妥当である」という解釈変更をおこなうことも組織運営上は許されてはいます。

でも、これはさすがに誰もついていかない。

であるならば、「集団的自衛権を認める今回の安保法案は、交戦権を否定した池田先生の絶対平和思想の延長線上にある」という明らかにデタラメな見解を維持するよりは、学会の信仰活動と公明党の支援活動を公式見解どおりに立て分けること、またはせめて政治へのコミットの程度を「公明党の支援」という以前の段階へと後退させることが、最低限のぞまれると考えます。

 

念のためにいっておきますが、自身の所属する宗教組織の精神的リーダーの思想とは異なる政策をその被支援政党が主張しているからといって、だから間違っているなどということを私はいっているのではありません。

それは独立した政党として、むしろ健全であるさえと思っています。

重要なのは、支援団体の思想や利益と異なる政策を実行する場合、その支持者にむけて政策の変更理由をちゃんと説明する必要がある、ということです。

自民党はああ言っているが公明党はそう思っていないとか、公明党は表ではそう言っているが本心はちがうとか、公明党はそれを認める発言をしたかもしれないが学会は認めていないとか、学会や公明は立場上そういった発言をせざるをえないが池田先生のお心はそうではないとか、もうこういうのやめましょう。

また、「池田先生の思想と相違している」という理由で公明党を批判する内部の人間にたいしては「公明党は現実の世界で戦っているのだ」と政治上の言葉で叱責しつつ、いざ応援する段になると「彼らを仏法者の仲間として信じるべきだ」という信仰上の言葉で擁護するとか、もうほんとやめましょう。

こういうの、学会内部でしか通用しません。

 

公明党集団的自衛権の否定から容認への変更理由を誠実に説明し、支援団体たる学会はその宗教思想にもとづいて、会員個人の政治的自由に配慮しつつ、支援の程度を決定する。

また創価学会に所属する私たち学会員は、組織の見解を傾聴しつつ、自らの政治的信念にもとづいて支持政党を決定する。

それが民主制下にある政治団体と、その支援組織である宗教団体との、より良い関係であると考えます。